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2013年10月29日火曜日

2013年10月15日火曜日

最後の恋 MEN'S つまり、自分史上最高の恋

朝井リョウ
伊坂幸太郎
石田衣良
荻原浩
越谷オサム
白石一文
橋本紡
新潮文庫。

2013年9月27日金曜日

踊りませんかーー社交ダンスの世界

浅野素女
集英社新書

バレエがダンス芸術の王道ならば、社交ダンスは民衆文化。
演劇で言うところの、歌舞伎と小劇場みたいな関係。
ちょっと違うか。


「…ワルツは愛の成就を、タンゴはその後にやって来る衝突や失望や嫉妬を表している。さらにスローフォックスは、争いや衝突を経て再び一体感を取り戻したふたりの愛の深まりを表現していると言われる。スローフォックスから感じ取られるひずみのないハーモニーややすらぎは、試練を乗り越えた果てにようやく辿り着くことのできる、カップルのおる境地を示しているのかもしれない。」94頁

2013年9月25日水曜日

バレエの宇宙

佐々木涼子
文春新書

プルースト研究家によるバレエ入門書。

2013年9月23日月曜日

風立ちぬ

宮崎駿
吉祥寺オデオンにて

3回目の観劇。
うち2回は立川シネマシティで観たのだが、あそこは音響のよさが素晴らしいと改めて感じた。
ドルビーではなく、SONYの4Kとか(4Kって映像の規格ではないのかな。高画質の)。

さて、3回目の観劇だが、今回は事前に堀辰雄の「風立ちぬ」と堀越二郎の「零戦 その誕生と栄光の記録」を読んだ。
基本的に映画は宮崎駿がこの二冊から着想を得て再構築したフィクションだということを認識。
宮崎駿ってややっぱり想像力や粘り強さ(一手間かける気力)がすごいなと思い続けていて、あまり映画に集中できなかった。
あと風立ちぬっていう映画は「矛盾」に満ちた映画だということを感じた。
戦闘機好きの戦争嫌いの宮崎駿。
それをそのまま、葛藤とかも含めて表現してしまう。
だからこそ、割り切れない、すっきりしない部分もあるんだけども、矛盾に満ちたまま描く表現力。
引退会見とかでも「この映画に込めたメッセージは」という質問に「映画をみてください」と返しているのは、一言でいえる類のものではないからなのだろう。
もっとたくさん映画を作って欲しいです。

東京問題の政治学

土岐寛
日本評論社

こちらも2週間前くらいに読了

学生時代にやらなくてもいい20のこと

朝井リョウ
文藝春秋

2週間前くらいに読んで、ショックを受けた。
この人の才能は驚異である。
学生時代に同じようなことを思ったり、やったりしていたけれども、こんなに生き生きとユーモア満載で表現できるなんて。
こんな友達がいいな、とも思わせる文章。
ああ、ショックだ。

2013年9月14日土曜日

プルーストを読むーー『失われた時を求めて』の世界

鈴木道彦
集英社新書


これを読んで大分プルーストがわかった気になってしまった。
かいつまんで知るには最適。

本編もちゃんと読まないとダメだろうか……。
また一巻半ば、全十三巻もある。
うう……。

自治体行政の領域 「官」と「民」の境界線を考える

稲継裕昭 編著
ぎょうせい

2013年9月9日月曜日

立候補

中野ポレポレ

泡沫候補のドキュメンタリー。
マック赤坂とか羽柴秀吉とか。
同じ選挙ドキュメンタリーでは、想田和弘監督の「選挙」ってのがある。
小泉旋風の時期の選挙で、夫婦ゲンカのシーンとか、選対の方に怒られたりするシーンが印象的だった。

やっぱり選挙に、政治に興味を持つならば(無理して、また日常生活のはけ口として興味を持つ必要はたぶんない)、選挙ボランティアが一番ではないでしょうか。
同時に私は、日々の日常生活を大切にしようと思いました。

2013年9月8日日曜日

東京オリンピックの開会式の演出家

2020年は東京オリンピックとなった。
賛否両論あるかもしれないが、とりあえずやることは決まった。
私の関心事は誰が開会式の総合演出をするかだ。

もはや北野武と宮崎駿の両名を除いてはいない。
個人的にはキタニストなので、北野武を推したいが、宮崎駿も「風立ちぬ」が素晴らしすぎたので、何とも言い切れない。

2008年の北京オリンピックは中国の映画監督・張芸謀、
2012年のロンドンオリンピックは英国の映画監督・ダニー・ボイル、
と映画監督で続いている。
現代において、総合演出に長けているのは映画監督においてない。

音楽に関しては、1992年のバルセロナオリンピックの開会式で指揮を担当した坂本龍一の起用もあるかもしれない。

いろいろと楽しみである。

2013年9月7日土曜日

NO DAMAGE

佐野元春のLIVE映画

エンドロールのサムデイ以外一曲もわからなかった

2013年9月6日金曜日

マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(集英社文庫・鈴木道彦訳)を読んで(P247まで)

「20世紀を代表する文学」として名高いマルセル・プルースト「失われた時を求めて」を読んでいる。
この本はジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」と並んで、20世紀を代表する文学とされている。
が、実際に読んだことがある人には出会ったことはないし、私も数々の文学作品を紐解いてきたがなかなか手をつけられなかった。
とにかく長いのである。
私の読んでいる集英社文庫でも13巻もある。
源氏物語よりも、戦争と平和よりも長い。
一度読みだした本は最後まで読む、をモットーにしている私にとっても、読みだすのにも勇気がいる。
今回、一緒に読んでくれる仲間をみつけて(3名)読みだした。

読みだしてみたものの、とにかく、頭に入ってこない。
もはや文字を追うだけになっている。
面白くもなんともない。
物語もよくわからない。
かの有名な「紅茶とマドレーヌ」のくだりは、急に光が刺したように(実際に「光」というキーワードが現れる)読みやすくなったものの、すぐに章が終わってしまい、また暗闇に突き落とされる。
これでは、先行きが大変不安なので、訳者の鈴木道彦氏が著した「プルーストを読む」(集英社新書)をという新書をまず読んで、骨格というが世界観を手っ取り早くつかもうと同時並行で読み進める。

救われたのは鈴木氏の次の著述である(上記書P12〜13「はじめにー私はどんなふうに『失われた時を求めて』を読んできたかー)。
「頼れる翻訳はなかったから、辞書を引き引きたどたどしくこの未知の領域に入り込んで行ったのだが、手探りで数ヶ月のあいだ進んでゆくうちに、あるときから私は、自分がいくらか馴染みの世界にいるような気がし始めた。そう思ったのはおそらく、その頃に私が抱えていた素朴な問題と関係があったのだろう。それは二十歳前後の者なら誰しも考える類のもので、つまり「私」とは何か、という問題だった。
この「私」は一つの呪縛だった。どこへ行っても、何をしても、たとえ一杯のコーヒーを飲んでいても、私は、これを選び、これをしているのは自分だ、という感覚の周囲を堂々めぐりしていた。確実なものは、皮膚に包まれていたこの肉体の内部に起こることだけで、他人の存在や考えは理解できない世界に思われた。しかも、皮膚の内部の「私」の考えることははなはだ利己的で、どんなに立派な文句を口にしても、他人のために気を使っても、さらには一文の得にもならない犠牲的な行為を敢えてしても、そこにはかならずいやしい計算が働いており、それが自分には隅々まで見えてしまう。だから「自己愛」や「虚栄心」をめぐるラ・ロシュフーコーの『箴言集』の考察は、私には容易に理解できたし、その一方でこのように見え透いた自分の姿は鼻持ちならないものだったから、「自我は嫌悪すべきでものである」というパスカルの『パンセ』の言葉も、ぐさりと心に突き刺さるものを持っていた。
こんなふうに「私」をめぐって思考にもならない思考を繰り返していたも者にとって、プルーストが描く「私」の意識に入りこんでいくのは、たとえ簡単なものでなくとも、抵抗を覚えることではない」


私にとっては「私」とは何か、という問題は、大学時代にゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んだ時に直面したものである。
「若きウェルテルの悩み」は告白文学という形式をとっていることもあり、また許嫁がいる女性への叶わぬ恋をするというわかりやすい構図もあって、余計に身につまされた。
確かにプルーストを読んで、改めて「私」とは何か、という青臭い、そして現代的な言葉でいえば「中二病」のような自我の肥大が私に襲いかかってきた。
もう28歳だというのに。
文学は危険だ。
無意識に自分の自我を肥大させ、その成長痛のような「痛み」を伴う。
痛みを緩和させようと文学を求めるが、鎮痛剤としての作用は全くなく、かえって痛みを最大化させる。
痛みによって、ちっぽけな自己の存在を確認するかのように。

プルーストは自分にとってはあまりにも偉大で、巨大で、その価値が一向にわかる気配はないが、ぶつかり、その断片だけでも感じれたらよい。
そんなことを思う、夜中の酔いどれの落書きである。

2013年8月22日木曜日

2013年8月12日月曜日

何者

朝井リョウ
新潮社

論文作成メモ

職場の先輩から聞いたことをメモ。

【新人の新聞記者の記事作成技法】
新人の新聞記者が記事を作成する場合にどうするか。
まず過去の類似記事を探す。
そして、型を見つける。
オリジナリティをいきなり発揮する必要はなく、過去の記事に積算されたテクニックをまず習得する。
リード文はいかにわかりやすいか、という観点が必要。
同じ新聞内での統率も必要。
文の順番で、時間、場所、誰か、という要素。

その後にくる「雑感」の部分はその記事について、個人的な切り口が必要になってくる。


【論文】
キーワードをたくさん準備しておく。
ネタや数字。
80点を取るものをたくさん準備。
80→100点にするためには人に添削してもらうしかない。

2013年8月9日金曜日

2013年8月2日金曜日

2013年7月22日月曜日

暴走する地方自治

田村秀


一つ批判をするなら五個くらいつたなくても提案しようと思った。

2013年7月15日月曜日

東京の副知事になってみたら

猪瀬直樹
再々読。

P103
短期間だけ研修で派遣された職員たちの反応もすごくよかった。地方自治体が置かれた厳しい環境や「現場」を見ることの重要さ、住民目線に立つことの意味など、それぞれ大切な何かを学び元気になって帰ってきている。都の研修はお台場で机に座ってやる座学が中心だが、逆にこういう機会を求めていたのではないだろうか。」

2013年7月13日土曜日

2013年7月5日金曜日

やらなきゃゼロ!

鈴木直道
岩波ジュニア新書

P154
「何もしなければ現状維持どころか現状をピークに縮小してしまいます。しかし半歩でも前進すれば、なんとかゼロからプラスになる。」

2013年6月8日土曜日

簿記

明日は簿記の試験がある。
実は受験は三回目。
ちなみに三級。

社会人になったら簿記くらいは押さえておかないとね、
ということで受験してみようと思った次第だが、
仕事上全く使わないので、実感がわかない。
でも数字に強くなったら、苦手な日経新聞も読めるようになれるかもしれないぜ、
と思い、諦めきれないでいる。

これまでの二回はトンズラしてしまった。
全く勉強していなかったからだ。
今回はどうか。
参考書を買ったが、まだ半分も終わらないでいる。
スキマ時間を活用しようとiPhoneのアプリも購入したが、塩漬けにしている。
喫茶店とかで勉強しようとするとちょこっとやって後は息抜きで、読書とかPCいじっているとそっちに熱中してしまい、異常な集中力でもってあっという間に時間が過ぎていく。
あれ、何しにきたんだっけという具合だが、いつも心地よい充実感がある。
この時のパフォーマンス能力が常に発揮できればと思っている。
学生時代と同じだ。
勉強していたつもりが、机の周りを整理していたらいつのまにかそっちに集中して、よくわからないところで満足している自分がいる。

大学時代の友人に3浪した強者がいたが、今、彼の気持ちがよくわかる気がする。
三度目の正直なんていう言葉があるので、受験会場には足を運びたいと思う。
ただ、午前中なので、起きれるか心配だ。

2013年5月4日土曜日

十六歳のオリザの冒険をしるす本

平田オリザ
講談社


面白すぎる。
個人的には深夜特急より好き。
洞察力がすごい。
あとがきによれば、書いたのは十八歳という。
天才すぎるぜ、平田オリザ先生。

14歳からの原発問題

雨宮処凛
河出書房

2013年5月3日金曜日

どう働く

坂本光司
青木仁志

あさ出版

世紀末の詩

野島伸司

「おまえがなぜ女にモテないか、もうひとつわかった」
(中略)
「それは、おまえが救いがたく心の卑しい人間だからだ。自分はチッポケな人間だと理解しながら、一方で自分より小さな人間を貪欲に探している。ワイドショー好きの主婦のようだ。

2013年5月2日木曜日

やさしさについて

とある友人が書いた小説を読んだ。
人間関係に不器用で、他人にやさしく振舞うことができない男の寓話的な話である。
やさしさについて考えた。


やさしさ、とは難しい。
例えば、ボランティア。
ボランティアはやさしいのだろうか。
ごみ拾いは地球にやさしいのだろうか。
そもそも地球にやさしいという言葉自体よくわからない。
自然は人間には厳しいが、人間は地球にやさしくなることができるのだろうか。

私も人にやさしくされるのはどちらかといえば苦手である。
わがまま放題言わせてもらえれば、少し気にかけてもらいたいが、基本的にはほっといてほしい。
やさしくされると、ありがたい反面その恩返しをしなければならない気がして負担になってしまうことも事実。
その煩わしさというのは正直ある。
特に純粋な気持ちのやさしさ、というのは余計に厄介だったりする。
何でこんなにやさしくしているのにあなたはわからないの、といわれている気もする。


昔書いた演劇のセリフに「愛の押し売りってしちゃいけねえんじゃねえの?」というものがある(ちなみにギャグ演劇)。
愛とは素晴らしいものだが(あの素晴らしい愛をもう一度を歌うももクロと南こうせつのコラボも素晴らしい)、それは思い込みでしかなかったりもする。
というか、すべてのことは実は自分の思い込みではないのか、という謙虚な姿勢こそが大切なのだと思う。
そして、その思い込みは自分にとっては大したことだけれども、実は他人にとっては取るに足らないものであるということをわきまえるべきだと思う。
Twitterのタイムラインをみながらについこんなことを思ってしまった。
こんな意見も思っているだけにしておけばいいのだ。
自戒をこめて。


雨の降る新潟の温泉宿にて。

お金が教えてくれること

家入一真
大和書房

2013年4月28日日曜日

2013年4月26日金曜日

日本でいちばん大切にしたい会社3

坂本光司
あさ出版

帯に村上龍の推薦文「金銭・利益以外の価値、それが何なのかを示す必読の書。

メモ。
5人を大切にしなければならない。上から順に優先順位が高い。
①社員とその家族
②社外社員とその家族
③現在顧客と未来顧客
④障がい者や高齢者などの社会的弱者
⑤出資者・支援者

人の幸せは四つといわれる。
①人にほめられること。
②人に必要とされること。
③人の役に立つこと。
④人に愛されること

④以外は働くことで満たされる。いや④も職場結婚があるか。

2013年3月25日月曜日

大増税時代を生き抜く共働きラクラク家計術

花輪陽子
是枝俊悟

私はあまりにも家計とか貯蓄とか将来設計とかお金のことに興味を持てない。
不感症なのか。
これでは一流のビジネスマンと張り合えないので、いっそのこと株でも投資信託でもやってやろうかと思った。

2013年3月14日木曜日

ミカドの肖像

猪瀬直樹
小学館文庫

再読。

かつて石原慎太郎から「博覧強記の調査魔」と呼ばれた猪瀬直樹。
そのとおりで、疑問的を徹底して洗い出し、膨大な情報をかき集めている。
ただ、ジャーナリストではなく「作家」を自らを規定する彼の特長は物語るところにある。
だからエンタメ的な要素もあって読みやすい(だって「ミカドの肖像」は約900ページもあるんだぜ)。
事実を積み上げてそれを元に「視えない制度」をあぶりだす。
いわば、暗黙知を可視化する能力が彼の最大の才能である。

そして、この「ミカドの肖像」。
この小説ともミステリとも現代日本論とも受けてとれる作品は、誰もが存在を感じながらも巧みに避けてきた戦後最大の「タブー」である天皇制に真正面から向き合い、謎解きを行う。
サブカルチャー全盛の今の時代だが、こうした大きな問題に一個人が真っ向から挑んでいる事自体が新鮮に映る(猪瀬流にいえば、森鷗外のような「家長」的な責任感か。)。
これは「団塊の世代」だからこそなせるワザなのであろうか。
我々の世代だと「前田敦子はキリストを超えた」みたいな本が出てくる次第である(猪瀬流にいえば、「放蕩息子」の文学)。

印象深かったのは、最後の方の文化人類学者の山口昌男の著作を引用しつつ解説している部分。
実は私、山口昌男氏について、先日亡くなった記事を読んで知ったばかりなのだが、「中心と周縁」論はとても興味深い。
それを踏まえ、天皇制も日本人の心の拠り所として空虚な中心を確保するために存在し、その空虚さゆえに周縁部をブラックホールのようにのみこむ(そして「和」をもたらす)という仮説は説得力のあるものであった。
作品では触れられていなかったが、さしずめ西武の「堤康次郎」は価値紊乱者(←この言葉好き)という点でトリックスターという役割を果たしたのだろう。

(250316追記)
欲望のメディア収録のあずまんの猪瀬直樹論を読んでのメモ。

猪瀬直樹の仕事の本質は(戦後日本独特の)権力構造の分析ではないだろうか。
世俗の問題→生活→小さな謎から出発。謎解きはミステリーの要素を持ち娯楽性を物語に与えている。
共時的な問題を通時的な問題として、歴史を縦横無尽に横断し材料をかき集め、不可視のシステムを共時性に軸足をおいて物語る。
権力構造に「仕掛け人」の存在を意識し、そのものを洗いざらい調べ上げて、イデオロギーや理念ではなく、どのようなアーキテクチャーを形成したかをあぶり出す。





2013年2月24日日曜日

2013年2月17日日曜日

2013年2月13日水曜日

横道世之介

吉田修一
文春文庫

先日この原作映画を見たこともあり、読む。
久しぶりに吉田修一を読んだ。
面白かった。


P402
大切に育てるということは「大切なもの」を与えてやるのではなく、その「大切なもの」を失った時にどうやってそれを乗り越えるのか、その強さを教えてやることなのではないか

2013年2月4日月曜日

横道世之介

試写会にて鑑賞
ストーリーが破綻しているきらいが、ないわけでもないが、これが結構面白かった。
脚本は五反田団の前田司郎。
前田ワールドが随所にあらわれていて、それがスパイスに。

2013年2月1日金曜日

財政健全化法と自治体運営

兼村高文
税務経理協会

「こんな本があったらな」と思ってた内容がずばり書いてあった。
夕張と財政健全化法。
決算カードその見方。
ただ、私の頭が悪く全然内容が理解できなかった。
もう一回チャレンジしよう。

2013年1月27日日曜日

復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20

LIVE映画。
立川シネマシティ2にて。
http://eiga.com/movie/77652/

この立川シネマシティという映画館は凄い。
まず、音響。
LIVEの臨場感に惚れ惚れ。
また、宣伝も少ない。
この映画に関してはゼロ。
ビートたけしが言っていたが、「NHKは受信料を払うからCMがない。なのに、なぜ映画は本編が始まる前に10分も宣伝を見せられなければならないのか」と。
全くそのとおりなのだが、それを実現しているこの映画館の経営者は立派である。

さて、映画。
尾崎のおそらく絶頂期はずぎて、精神的にボロボロだったはずの時期(友人だった現幻冬舎社長・見城徹の本「編集者という病」を読みかえそう)。
MCとか、それが如実に現れていた気がする。
実際このツアーが尾崎の生涯でもラストツアーになってしまったらしい。

だが、歌は素晴らしかった。
まるで自らのアイデンティティを確認するかのように。
特にラストの「シェリー」。
イントロ聞いただけで、私は泣いてしまった。鳥肌が立った。

夕張炭鉱節

戸田れい子
晶文社

フォト・ドキュメンタリー

2013年1月25日金曜日

おみくじ三回ひく理論

おみくじひいたら、今年は大吉であった。
ちなみに二つ。

最初のは佐賀県武雄市の武雄神社にて。二回ひいたら、大吉が出た。
二つ目は福岡県の太宰府にて。こちらは三回ひいたら、大吉が出た。

経験則上、おみくじは三回ひけば大吉が出る。
世の中、一回だけ派の人が多いみたいだが、私の考えでは吉は積み上げ式である。
努力可能なのだ。


イメージ的には吉二つで中吉、中吉と末吉足せば大吉、と同じくらいの威力を持つと思っている。
かのヤンキースのイチローも打率よりもヒット数にこだわるとおっしゃっている。
その理由は、打席に立つことを積極的になるため、とのこと。
打席に立てば立つほど、ヒットを打つ機会が多くなる。
打率は上がったり下がったりするので、時には打席に立たないほうがいいこともある。
ただ、バッターというのは打席に立って打つのが仕事。
また野球選手になったというのも打つことが楽しくて仕方なかったというのがその原点だろう。
そういう本来的なあり方でいられるためには打席に立つことに積極的である必要がある。


おみくじも同じ。
何度もひけばそれだけ、こつこつと吉は積み上げられていく。
ついていないことを誰かのせいにしないだろうか?
それは間違いである。
常に幸福を求めようとすること、そのために努力し続けることが結果的に幸福を呼び込む。
何事も積み上げて行くことが大切なのだ。


ーーー

なんてことを真剣に語りだしたら終わりだと思う次第です。

2013年1月20日日曜日

自民党で選挙と議員をやりました

山内和彦
角川SSC新書

日本の選挙構造が候補者の視点からわかり、面白かった。
この模様をドキュメンタリーにしている想田監督の「選挙」という映画もみよう。

霞が関から日本を変える

プロジェクトK
マイナビ新書

2013年1月18日金曜日

ガールズトークしたい

ガールズトークしたい。

ちなみに私のスペック。
食べものに全く興味が無い。
おしゃれなお店が苦手。
少食。
野菜嫌い。
お菓子嫌い。
甘いもの苦手。
無口。
一人で本読んでいるのが好き。
人見知り。
飲み会ではビールしか飲まない。
飲み会でまずフライドポテトを頼み、満腹になる。
旅行が嫌い。
団体行動が苦手。
予備校生みたいなファッションしてる。

だから、ガールズトークしたい。

2013年1月14日月曜日

力弱い市長の力強い地方行政

樋渡啓祐
再読。


タイトルはあいまい。

レミゼラブル

立川シネマシティにて。

立川シネマシティは音響設備がものすごくよかった。
今度、尾崎豊のライブの映画をやるらしいので見に行こう。
シェリーで泣こう。

レミゼラブル自体について。
なぜ、私はミュージカルに入り込めないのだろう。
そんなことばかり考えてしまった。

64 ロクヨン

横山秀夫

Kindleにて。

2013年1月1日火曜日

週末起業サバイバル

藤井孝一
ちくま新書

紅白歌合戦

ここ数年来かつてないほどに暇をして、久しぶりに紅白歌合戦を見て過ごす年末。
ちなみに明日の夜からはLAに行くので、荷造りもしなければならないのだが、寒くてどうもやる気が起きない。

さて、紅白歌合戦。
何といっても注目はももクロ。
にわかファンで申し訳ないのだが、とにかく何か感動してしまった。
おめでとう、紅白出場。
その後も見続けて、
YUIが活動停止と知り「いい歌を歌うのに惜しいね」と思ったり、
久しぶりの綾香に「髪が短くなってる」とか思ったり、
かと思えば歌舞伎の亀治郎が名前が変わっていたり、
香川照之が中車として登場したりしてとにかく驚き、
きゃりーぱみゅぱみゅのこれぞ「ファッションモンスター」という衣装に拍手し、
AKBの人数の多さに兵馬俑を感じ、
その後のコロッケのよくわからないモノマネに唖然としたりした。

そして、何と言っても美輪明宏だ。
「ヨイトマケの唄」。
見事だった。
歌というか一人芝居だった。
風景が見えた。
最初はあれ、テレビ消えたかな、と思うように暗転。
しばらくしてスポットライトがあたる。
少年の表情、かあちゃんの表情、そして成長した姿。
一人の人間の人生が垣間見えた。



美輪さんは黄色いロン毛で、オーラの泉のイメージ等で今では私の中で「奇人」ワクになっているが、
昔は三島由紀夫とも交流のあった(←意味深です)文化人。
当時の写真を見ると美男子そのものである。
その美男子ぶりがなんとも危うく妖艶な魅力であるのだが、
その姿が今日蘇った気がした。
そう、今日は黒髪の短髪になっていた。

この「ヨイトマケの唄」、言葉の問題から公共の場で放送されるのにも議論があったそうな。
表の世界に出てこない歌。
それを含めてのこの紅白の舞台。
美輪さんの中でも今までの色んな思いがあったことだろう。
心が震えました。


年があけてしましました。
あけましておめでとうございます。