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2012年11月30日金曜日

血液型の性格判断について

毎日ブログ書く宣言をした翌日から休んでしまいました。

ジブリ、ディズニーと世間が好きなものとなかなか肌が合わない私であるが、特に困ってしまうのは血液型性格判断です。

みんな好きですよね。
嫌いな人に会ったことがありません。
どうなのかね、なんて人もそんなこといいながら結構好きな人が多いのではないでしょうか。
みんなお詳しいですよね。
何であんなに知ってるんでしょう。

実は私の母親もこの血液型性格信者で、子供の頃吹きこまれました。
「O型はおおざっぱだけれども、誰とも仲良くなれる」
「A型は神経質。細かい」
「B型は変わっている人が多い」
「AB型はA型とB型を足して、2で割ったような人」

今だと気づいてしまうのですが、さりげなく母親自身の血液型のO型が一番よい表現になってます。

あと、今も昔もなのですが、AB型のAとBが一緒になってるのがよくわかりません。
何でそこだけブレンドがあるのでしょうか。
だったらAO型もあってもいいのではないですか。
また、AB型はAとBの両方を兼ねるとかいいますが、混ぜたら別物になったりしないのでしょうか。
全然イメージできません。
いっそのことC型にしていただけないでしょうか。

あと世の中(日本では)、A型が多すぎませんか。
全然統一感、共通性がないんですけど。
血液型当てるときも、とりあえず「A型でしょ」って言っておけば、結構当たっちゃうではないですか。
「意外とA型でしょ?」
「そうなの、実は細かかったりして」
みたいな会話を何度聞いたことか。
全然「意外」ではないです。

ゴリラはB型しかいないって聞きましたが、本当ですか?
本当だったらA型の人はゴリラと仲悪いのですかね。
よくいいますよね、A型とB型は反りが合わないって。
ゴリラ研究で有名な京都大学の山極教授はその点、大丈夫なのですかね?
ゴリラと会話したりしてそうだから、もしやB型?


調べたことはありませんが、血液型性格判断の話が通じるのは日本と韓国だけみたいなことを聞いたことあります。
アメリカ行くと星座の性格判断とかみたいです。
天秤座だからどうのこうとか。
全然説得力ないですよね。


おわりに。
血液型性格判断の中身には興味は全くありませんが、なぜ人が血液型性格判断を信じるか、影響を受けるのかにはとても関心があります。
結局みんな自分のことがわからないのだと思います。
よりどころが欲しいのではないでしょうか。
ロールモデルとしての血液型性格。
自分に割り当てられることで、自然とその性格を演じるようになって、嘘が誠になる。
なんかその手のことを分析した本が読みたいです。
斎藤環氏とか書いていないでしょうか。

2012年11月27日火曜日

二人静


盛田隆二
光文社文庫


 初めて読む種類の小説だった。大筋では恋愛小説なのであろうが、介護やDVといった現代社会が抱える問題を詳細に描かれることで、甘ったるさはない。しかし、だからこそ、というべきか。自分がもしもその立場であったならば、という身につまされる思いにさせられる。誤解を恐れずにあえていえば、主人公の町田周吾と乾あかりを始めとしてどの人物も地味である。しかしながら、その「地味さ」こそが日常の究極のディティールなのではないか。退屈さと厄介さを兼ね備えた日常の諧調性。私もそうした日常に生きているからこそ、盛田氏の描く人物にも感情移入してしまうのであろう。
 また、人間は感情の生き物である。単調な日常でありながら、複雑に心は動く。しかし、盛田氏の目は顕微鏡のようである。心のひだを観察し、その動きまで描きだすほどに。

 日常は平和である。とはいえ、誰しも多かれ少なかれ悩みは抱えているものである。しかし、他人からみれば大したことはないのがまた常である。他人の悩みなんて、景色に過ぎないのである。

 盛田氏の小説の凄さとは、登場人物に人生を語らせるところである。それはまるでその本人になって記憶を呼び起こすように、時にははっきりと、時にはあいまいに、その人にとっての傷の存在を否が応にも感じさせるようにして語られる。「二人静」ではその点が周吾の父親はっきりと現れていて大変興味深かった。

 ストーリー展開も600ページを超える大作でありながら、片時も飽きることのない内容となっている。周吾とあかりに次々と振りかかる困難。それを格好良く乗り越えるのではなく、むしろ無様なままそのままに受け入れていくようにして物語は展開していく。その蓄積こそまさに我々の生きる日常そのものである。何かが起きても受け入れて慣らしていくしかない。

 ふと私自身についても考える。周吾が抱えることになった親の介護の問題だって、いつ自分の身に降りかかるかはわからない。しかし、その時に自分に何かできるかといえばいきなりできるわけではない。今から何かするかといえばするわけでもない。でも、もしも自分が介護をすることになったらどうするか。まずは自分でやるしかないのだろう。無様なままに。そのままに。

 今日も盛田氏の描く人物はこの日本のどこかで、息をして、日常生活を送っている。風景ではなく、傷を負ったひとりの人間として。そう思えてならない。そんな盛田氏の小説に拍手を送りたい。

Facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツにせまる男

映画「ソーシャルネットワーク」の原作

走ることについて語るとか恥かしいから、語らないで、でも歩くことについては語ってみようか。いやいや、寒い日が続きますね。

続く限り、毎日ブログを更新しようと思います。
ブロガーになります。


私の平日ですが、朝は5時に起床、6時前に家を出て、7時には新宿到着。
始業時間までカフェで1時間ほど朝活をするという極めて健康的な生活をしてます。
2年半以上そんな生活が続いてます。
飲んだ次の日もです。

こんな自分になるとは、学生時代の自分では考えられないことです。
特に大学生のときはよく寝ました。
友人宅では特によく寝ました。
大学生は赤ん坊の次によく寝る、とは森見登美彦の言葉ですが、全くそのとおりの生活をしていました。

ジョギングをするようになり、マラソンを走るようになったのも、学生時代にほとんど運動してないことが大きいです。
特に長距離とかは大っ嫌いでした。

つまりは今の自分はそれまでの人生の反動によるところが大きいのです。
昔の自分を思い出すと赤面してしまいます。
だからこそ、それを思い出さないようにするために反対のことをしているのだと思います。

ミーハーで恐縮なのですが、最近、といってもおとといからですが「ももいろクローバーZ」にハマっています。(特に赤の静岡出身の人が好きです)。
「ワニとシャンプー」って曲があります。
「終わらない終わらない全然終わらない。8月最終日の宿題 。適当にやらなきゃしょうがない。適当にやってもしょうがない」というような、要は夏休みが終わるというのに宿題が終わらないという曲です。
聞いていて、ふと思い出しまいました。
よくこの手のことはネタにもなったりするのでしょうが、私はあまり共感できません。
なぜなら、夏休みの宿題が終わらなくても全然焦っていなかったからです。
危機感を感じませんでした。
自分に正直すぎました。
よく怒られてました。
でも悪いとは思ってませんでした。
世間との距離感をうまくつかめていないガキでした。

大人になってからは時間や期限には厳しくなってます。
理由はたぶんこれです。
こういうのを成長というのでしょうか。
言わないと思います。

走ることについて語る時に僕の語ること。第一回富士山マラソン篇。

久しぶりに勢いだけで書く。


昨日(11月25日)、河口湖を会場とした「第一回富士山マラソン」に参加してきた。
「第一回」とあるが、元々も河口湖マラソンというマラソン大会があって、それがパワーアップして富士山マラソンとして出なおしたとのこと。
ちなみに私は今回で3回目のフルマラソン挑戦である。
東京マラソン、京都マラソンと挑戦してきた。

去年はその「河口湖マラソン」にエントリーしたものの、宿がとれず車内泊をしたこともあって、寒くて、やる気をなくし、そのまま温泉入って帰ってしまった。
今年はその反省も活かして、宿で泊まった。
しかしながら、宿をとれたのは忍野八海で有名な忍野のほうでちょっと離れているところである。

朝は5時に起床。
朝の気温はマイナス3度とかで、朝車のフロントガラスが凍っていた。
ちょっと心が折れた。
宿の人にお湯をかけてもらい氷を解かす。
会場へ向かう。
しかしながら、このパワーアップした今大会では、人を集めすぎて、大渋滞が発生していた。
まあ、間に合わなかったらそれを言い訳にして温泉に向かおう、と思っていたが、スタート直前15分くらい前に会場につき、荷物預けも何とか済ませると、息つく暇もなくスタート5分くらい前に。
あっという間にスタート。
8時15分である。
ゲストとして来ていた有森裕子のテンションの高さに驚く。
女松岡修造みたいになっていた。

そこからは淡々と走る。
走っている最中に思ったこと。
「・・・」
「富士山綺麗だな」
「紅葉がきれい。カメラ持ってくればよかった」
「走ってても寒い」
「(たまに立ち止まって撮影しているランナーに対して)すごいな」
「(ロッキーのテーマが頭の中で流れて)エイドリアーン!」
「つらいとは思わない」

15キロを過ぎたあたりから、足がちょこっと重くなる。
たぶん気のせいだ、と思い込むことにして、走り続ける。
17キロあたりから足の重みがやっぱり本当だと気づいてしまう。
つらくないもんね、とペースをキープする。(キロ5分10秒くらい。ちなみに走っている最中には時計は全く見ない)
20キロすぎたあたりから給水所で水を飲むふりをしてちょいちょい歩き始める。

(中略)

30キロを過ぎると、もうどこで歩いてやろうかな、くらいしか考えなくなる。
「なんで、走ってんだ」
「頑張らなくてもいいじゃないか」
「誰もどうせわからないんだし」
といって、「まあいいや」歩きだす。
あんまり歩くと足が余計に重くなるのですぐに走るようにするが、もう足の重さが変わっている。
そうして34キロあたりからはやたらと歩いてしまう。
1キロ走って、ちょっと歩こうとか思っているけども、1キロも走らずにすぐ歩く。

(中略)

そうしてゴール。
4時間20分54秒でした。

2012年11月19日月曜日